2012年4月23日月曜日

4・19宮城県山元町をまわって


本日はメインが山元町
仮設住宅を拝見させていただき、実際に津波被害にあった坂元駅周辺を見学
ささえあい山元にていろいろなご意見をうかがう流れでした。

仮設住宅
ご夫婦二人の住居は4畳半。寝る場所も確保できない

・メーカーによって作りは様々(この仮設は結露対策などもできておらず、つくりから防寒はできていないと思える。)
・ストーブは使えない。
・風呂は追いだきできない
・夫婦2人の場合は4.5畳。大変狭い。
・家族の人数によって大きさは多少広くなる(3段階)
・津波被害にあった方のお話を聞かせていただいた。
・この仮設住宅に入っているのは山下第二小学区の家族
・子供たちは山下小学校に通っている。(名札は山下二小。間借りしていると思われる)
・高校になると、仙台高校など仙台市内に行くことが多く、その際に町を出て仙台に引っ越すという人が出る。
・17000人の町民のうち、2000人は町外に移住した。
・居住可能な区域が3段階で決められている(この仮設に入っていらっしゃる方は元の家には戻ってはいけない地域)


帰り際山下中学校にて幸福の黄色いハンカチを発見
町役場が声をかけ、町民から復興に向けての言葉(希望など)を書いている。
山下小の子供たちも書いた。
学校以外にも街のお店などにも飾ってあった
(なぜか子供たちにサインを求められ、その際の代表的な方にサインを任せ、一緒に写真を撮ってあげたら、「笑顔になれた」と言ってにこにこしていた。時間がなく、すべての子供たちに均等に触れ合うことができず無念。)

被害場所見学
・山元町でおそらく最後になる町営住宅だがまだまったく片付いていないところを見せていただいた
・津波の勢いでガードレールも曲がる
・助かった方もいらっしゃるが、移住した人もおり、仮設に入っていらっしゃる方は少ない

・坂元駅
・駅までの道すがらがれきの山が続く(ただし、居住禁止区域内)
・駅跡を見学
・駅舎はない。残っている建物はトイレだったところ
・プラットホームは残っているが津波ではがされた部分への力で歪みもおおい。
・プラットホームのあったところだけ線路が残っている。他のところは津波で流されている。


・中浜小学校見学
・ここは人数が少なかったが、海からはすぐ近く
・津波は2階の高さまで来た
・子供たちと職員は2階上のロフト的な隙間に逃げこみ難を逃れた(犠牲者0)
・ここも居住不許可地区。学校の再建はめど立たず

・福島県新地町との境まで走る
・福島県に入ったとたん、通行止め。その先の道路がなくなってしまっていたから。



ささえあい山元でのお話し。
・これからの支援は物資ではない。(もう行きわたっただろう)
・これからの支援は心の支援
・仮説でお茶会などを開き、ミシンを使いものを作ろうとしている。(非売品だったようだが、みんなで買ってきた。自転車のゴムチューブを芯にして、ぼろ切れを縫って巻きつけた、肩たたきのようなもの。販売することが目的ではなく、みなさんに話をしたり、活動をしたりすることが目的)
・女性はこういう場所への参加はされるが、男性はほとんどない。引きこもって酒を呑んでいたりなど。
・男性の場合は仕事を失い、居場所がなくなり、生きる目的を失った?ような感じがある。
・老齢者が多く、新しい職に就くということは考えられない。
・ほとんどがイチゴ農家で、メーカーが苺栽培の場所を与えたらどんどん参加してくれた。しかし量は少ない。
・今までやってきた仕事、経験を生かせる場であれば、力を発揮できるという気持ちになるのだろう。
・男性に対して、そういう場所を与えていく必要性を感じる。
・家庭菜園のようなものを作って、野菜を作る場所を与えることができれば、参加してくれるのではないか?と提案
・今からの支援は傾聴。
・子供たちは学校から帰ってきておらず、話を聞くことはできなかった。

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