2012年4月23日月曜日

4・20 野蒜にて


松島観光
今回の旅行は被災地にお金を落とそうという目的もあり、観光もはさんでいます。
松島・瑞巌寺を見学 http://www.zuiganji.or.jp/html/info.html
桜にはまだ少し早かった
瑞巌寺についての詳細はリンクで
松島は観光地 お土産やさんも並んでいる。
無料でふるまわれているずわい蟹の味噌汁にひかれ一休み。
牛タン焼の試食も。
店内に入り、ずんだ餅、ずんだクッキーなど子供たちへのお土産を買われるメンバー
油麩が売られていた。佐賀の3.11のイベントで販売されていたこともあり、皆さんご存知で買い求められる
復興支援のステッカーなどもあった。
別のお店で夜飲むためのお酒を購入。浦霞をゲット http://www.urakasumi.com/
松島海岸駅から利府方面(山の方)へ車をむけ、松島展望台白衣観音へ
ここは松島を一望できる場所らしい。一番きれいに見えるそうです。
桜はまだつぼみ。あと1週間くらい?
車の中から「津波」と書かれた標識を発見。避難所の位置を示しているのでしょう。震災前には見たことがなかったもの。
観光客は戻ってきている?

東松島・東名駅
駅到着のころナビを見る。
もともと陸地・住宅地と記されているところが海になっている。地盤沈下
東名駅のそばに消防車があった。「寒河江」と書いてある。山形県寒河江市から送られたものだろう。
東名駅では3.10にイベントを行ったメンバーがおり、状況に詳しい。
http://www.youtube.com/watch?v=RH0oWkhLKZo&noredirect=1
説明を聞いていたところ、通りすがった近所のおじいさんが声をかけられた。
3.11の時の様子をいろいろと話してくれた。
山へ逃げた話、山から家が流されているのを見ていた話、逃げろと言っても動かなかった近所の方の話...
東名駅にも津波は襲ってきた。2m近い高さだろうか、駅のプラットホーム上の建物の高さまで襲ってきた。
写真上、ピンク色の小さな小屋?があるが、そこの半分くらいまでは津波は来たが、その小屋に逃げ込んで助かった人もいた。
津波はプラットホームを超えるときに滝のように線路に落ちて行った。
その勢いで線路や枕木がめくれた。線路が横に立ったようになっていた。
仙石線はこの区間は今は走っていない。また別の場所に線路を引くという話があり、野蒜・東名の住民でも意見が分かれている。

石巻・日和山公園
時間があったので日和山公園から石巻を見てきた。
津波の被害の大きさがわかる。
町であったところに何も残っていない。
がれきは撤去されて一部に集められているようだ。
しかし、何もなくなってしまっている。
一つの町が完全に失われてしまったようにうつる

石巻市立病院あと
被災時に勤務をされていたからのお話をお聞きする。
今は市立病院は山の方に移転したようだ。
私立病院は海に近い。隣の薬局などは地盤沈下で海に落ちていた

石巻市内
門脇小 
震災時火災が起きた校庭はがれきなど撤去されたのだろうなにもないが、
校舎はガラス窓が割れたまま、地面に散乱していた。
正面3階あたりにある時計が錆びついていた。火災による酸化だろうか


マンガッタン島 石の森章太郎漫画館のそばにある。
旧北上川のあいだにある中瀬にある。
石ノ森章太郎が日和山公園からみて「ここはマンハッタンのようだ」と言ったことから名づけられている。
自由の女神像
中瀬からみると、対岸に上がっている船がある。震災後そのままなのだろうか?
ホット横丁石巻 食事
ここは築地銀だこが運営しているらしい。
http://ishinomaki.hotyokocho.com/
本社を宮城にも作り、アルバイトなど雇用を作っているようだ
http://job.rikunabi.com/2013/company/top/r795120029/
ここには石巻製パンも入っていた。ロックンロールズ!内田裕也が喜ぶ!
メンバーはこぞってパンを買い、石巻焼きそばを食べ、ラーメンを食べ、たこ焼きを食べ、デザートを食べ....
みんな食べすぎです。

野蒜駅
石巻から野蒜に戻る途中で仙石線を走る電車を見た。しかし、石巻から陸前小野までしか走っていない。
野蒜から手樽駅までは不通のままだ。
代替バスは走っているようだが...
野蒜駅につくと、ちょうどスクールバスがついた。
バスには「名取第二中、野蒜小」と書いてあった。
時間的に小学生が下校する時間のようだ。
野蒜小は現在違うところに仮設校舎を作っている。
鳴瀬第二中は鳴瀬第一中に間借りしているという話だ。
バスを降りた数人の子供たちは駅の近くに住んでいるらしい。
すぐには帰らずに廃墟のようになっている野蒜駅のホームで遊んでいた。
話しかけると、「ここは秘密基地だ」と..子供のころに同じように秘密基地を作って遊んだことを思い出す。
子供たちの家は、おそらく津波は来たのだろうが、被害は比較的少なかったのだろうか..
仮設住宅には入らずに自宅から通っているのだそうだ。
駅の近くに住み、学校にも近かった子供たち。
この子たちは毎日何を思い、通学しているだろう..
駅には「走れ!仙石線」「仙石線を現ルートで早急に復旧を!」という文字が躍っていたが...被災地でも意見は分かれているようだ(後述)
「ボランティアのみなさんありがとう」という文字の横に、子供が作ったようなキャラクターの絵があった。
そのキャラクターの名前は『のびるちゃんとおうちくん』
被害にあった我が家への思いなのからだろう。胸が締め付けられる思いがした。


ケアハウスはまなすの里
お邪魔する予定だった方のご都合で、その方の運営するケアハウスへお邪魔した。
ここは比較的海から離れた方にあるのだが、津波はここまで襲ってきたらしい。
震災直後ライフラインが復旧せず、プロパンガスを使って調理したこと、そのためにお風呂場を使用したこと、給水車からの水をためるためにお風呂を利用したこと、いつライフラインが復活するかのめども立たず、お風呂にも一カ月入れなかったこと。などなど...いろいろお話を伺った。


野蒜小学校仮設校舎
野蒜小学校は被災後、市役所鳴瀬庁舎の2階を間借りしていたらしい。
まず仮設の運動場をはまなすの里の敷地に作ったらしい。
その後、はまなすの里などの土地を無償で借り受ける形で仮設校舎を作っている。
プレハブの校舎なのだろうが、比較的しっかりとした建物に見える。
運動場もあり、小学校としては機能しているのだろうか?
ケアハウスのお年寄りたちとの交流もあり、メリットは多いようだ。(現状デメリットはないらしい)


野蒜の被災地
ほとんど被災した家などは撤去されている印象はある。
家があったのであろうと思われるところに ホタテの貝殻が 大量においてあった。
家を他の地区にうつし(後述)、養殖を再開するための準備を始められているのであろうか?

すみちゃんの家
NPO法人のんび~りすみちゃんの家
ここは東名駅のすぐ近くにある。
仙石線の山側にある。
運営者のすみちゃんは地震が起きたときにお年寄りも含め、みな避難させた。
山へ避難し、お年寄りには津波が襲ってきていることを見せなかった。
用心に用心を重ね、周りになんと言われても逃げた。

この地域は11月から家を建てていいという地区にもなっている。
住んではいけない土地ではない。

以下、すみちゃんとのお話の中から抜粋
・毎日のように家がこわされていく。来てくれるだけで嬉しい。
・話すことで気持ちの整理もできる
・仙石線のルートをかえて山側にという案が出ているが疑問(土地買収などで時間もかかる、金もかかる、何年かかるかわからない)⇒山を通す形で行政サイドは発表したらしい。対立すれば余計に時間もかかる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120126t13031.htm (元記事は削除されているようです)
・野蒜駅を道の駅みたいにしたいという話も出ている...
・石巻から仙台まで仙石線で45分でいけたのが、2時間かかっている。
・東松島市の人口は42000人だったが1048人死亡47人不明、そして1000人が流出している(働き盛り)
・家を建てると国から200万円でるが、松島市に家を建てるとさらに50万円だすらしく、そちらに流れている。
・この地区に家を建てる場合、新築ならば2m土地をかさ上げしないと行けない。
・仕事がない、復興する様子がない。みんないなくなった。
・復興夢切符(何を目的にするか?)

関連記事
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110524-OYT1T00011.htm

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